![]() |
|
クラスター研究のための超高感度振動分光法
クラスターサイエンスグループ
中永 泰介(物質工学工業技術研究所基礎部)
菅原 孝一
原子や分子が二三個ないし千個程度結合し一つの粒子を形づくっているものをクラスターと呼んでいる。クラスターは、原子・分子の系と凝縮系(通常の固体・液体)とを繋ぐ位置にあり、多種多様な分野の基本的な問題、原子・分子からものが形作られていく過程に深く関わっているはずである。しかし、クラスターがどのような構造をしているのかという最も基本的な点ですら、ほとんど明らかになっていない。二三個の原子・分子からなる小さなクラスターについては、分子の構造を研究するために開発された分光手法を適用することが可能である。そのうち赤外分光やラマン分光などの振動分光法は、一般に適用範囲が広く、分子の構造や分子内の運動に関する情報が直接得られるという特徴を持ち、クラスターの構造を調べる有力な手法と考えられる。しかしながら、特定のクラスターだけを生成することが難しいこと、通常の手法で簡単に観測できるほど大量に生成できないこと、形状が変化しやすく寿命が短いこと等のため、数個以上の原子分子からなるクラスターの構造はほとんど研究されていない。
そこで当クラスターサイエンスグループでは、大きなクラスターに適用できる全く新しい方式の振動分光法の開発に取り組んでいる。この手法は、これまでの振動分光法と較べると検出感度が非常に高く選択性も高い。通常の赤外分光法では、試料に光を通し透過光の変化量を測定する。この方法の検出感度は数十mの光路長でも1011cm−3の濃度が限界であり、クラスターのように光路長1cm以下濃度109cm−3以下という条件では検出できない。そこで当グループでは、入射した赤外光の変化量ではなく、強い赤外レーザー光の吸収により変化するクラスターの量をモニターする方法を採用した。図1にこの方法の原理図を示す。すなわち、(1)紫外レーザーを用いてクラスターを基底状態→電子励起状態→イオンの順にイオン化し、生成したイオンを質量分析法で検出する、(2)ここに赤外レーザーを導入すると、特定の波長で吸収が起き基底状態が減少しさらにイオンの生成量が減少するので、赤外レーザーの波長を変えると赤外スペクトルが得られることになる。実際の装置は、図2に示すように、真空容器やパルスレーザーなどからなる。クラスターは試料をノズルからパルス的に真空中に吹き出すことにより生成する。イオンの検出には飛行時間型質量分析法を用いる。原理は単純で、イオンに電場をかけ一定の運動エネルギーを与えて検出器に導く。このとき軽いイオンは速く動くため、検出器に達するまでの時間は短くなる。この到着時間を測定することにより、種々のクラスターイオンを別々に検出できる。このイオン化法の特徴は特定のエネルギー状態にあるクラスターのみをイオン化できるという点で、例えば基底状態にあるクラスターのみを検出することが可能である。実際にこのようにして測定したアニリンとアルゴンからなるクラスターの赤外スペクトルを図3に示す。これは、アニリンのNH伸縮振動領域のスペクトルで、クラスター内の相互作用として重要な水素結合の情報が得られる。この場合、アニリンモノマーと比べ振動数に大きな変化は見られず、水素結合は関与していないことが分かる。なお、この実験条件ではアニリンモノマーがクラスターの百倍以上存在しているため、通常の手法ではたとえ検出感度が高くてもモノマーの寄与を分離することは不可能である。この点でも今回の手法が優れていることを示している。今のところ使用可能なレーザーは3μ領域に限られているため、主な研究対象は水素結合を持つクラスターであるが、今後もっと長い波長領域で発振するレーザーの開発や、誘導ラマン効果の利用などにより適用可能なクラスターの対象を広げていく予定である。

図1超高感度振動分光法の原理図 図2超高感度振動分光装置


図3アニリンモノマー(左)、アニリンアルゴンクラスター(右)の赤外スペクトル
